【新作の話】京都府与謝郡与謝野町 加悦SL広場 - 最新ネタ

【新作の話】京都府与謝郡与謝野町 加悦SL広場

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前回からの続き。福知山駅から加悦SL広場へ向かう。
※今回は長い記事になっています。鉄道・鉄道史に興味のない方はスルー推奨です。

京都府

福知山駅からバスに乗って国道176号を走る。広がる田畑に青空。長閑な風景にここは京都であることを忘れてしまいそうになる。

丹海バス

「SL広場西」にて下車。バスはこの後野田川駅を経由し前回ちらっと紹介した傘松公園まで行く。

加悦鉄道 SL広場

バス停から東へ5分ほど歩くと加悦SL広場に到着だ。隣には道の駅が併設されている。

加悦鉄道

資料館は日本の駅舎100選に選ばれた旧加悦鉄道加悦駅を復元したもの。中には当時の加悦鉄道で使われた時刻表やランプなどが展示されており資料価値は非常に高い。そしてなぜかプリクラも置いてあった。

さて、とりあえず外から見られる車両から紹介していこう。

京都市電狭軌1形23号車

京都市電狭軌1形 23号車。
明治維新後京都は天皇や公家が揃って東京へ移住。街の衰退を危惧した京都は産業振興として路面電車を走らせることになった。
そして1895年、事業遂行のための事業者として設立された京都電気鉄道が京都の七条~伏見間に日本初の電車として開通させた。この車両はその京都電気鉄道(その後京都市電)が1910年に導入した狭軌1形である。
1955年までは広軌1形との重複を避けるためナローゲージ=Narrowgageの頭文字をとってN電と呼ばれ親しまれていたが、1961年京都~北野神社間の廃線によって廃車になり、私の地元宝塚にあった宝塚ファミリーランドへ譲渡された。
ところが2003年、その宝塚ファミリーランドも閉園になってしまいこの加悦SL広場にやってきたのである。

それにしても100年を生きた歴史的に価値のある車両が駐車場の一角にのざらしの状態で置いてあるというのもすごいものである。
なお、明治村には同型の8、15号車が動態保存されている。(第46~50話にて紹介予定)

南海電鉄1201形電車モハ1202

南海電鉄1201形電車 モハ1202。
1934年、木造車の高性能化・鋼体車化として登場。(車体に書かれていた製造年は昭和8年、つまり1933年であった。)
戦前は南海線、戦後は南海線・高野線に運用されてきたが、1973年の架線電圧1500V昇圧にともない廃車が決定。一方で600Vのまま存続されることになった南海貴志川線(今の和歌山電鐡貴志川線 9月に訪問)に状態のよかった10両が転用されることになった。

……が、戦前電車を動態保存的に運行していたことで問題もあった。
車両の冷房化や速度向上などのサービスアップに対応できず、乗客数が著しく減少していったのである。
また次第に部品調達も難しくなったため、貴志川線近代化の一環として1995年に2270系を導入(2014年現役)し、1201形は61年して運転からついに離脱したのである。

なおこの車両は各車の経歴が複雑で"難解"電車と揶揄されることもある。

国鉄キハ10系

国鉄キハ10系。
大量輸送ディーゼル車の草分け的存在で1953年~1957年までに728両が製造され日本全国で使用された。
また、電気系統や動力機器などの構成がこれ以降の一般形気動車開発の基本として受け継がれていったため、日本の鉄道技術史上においても最重要の系列だ。
ただ、地方用だからなのか座席は粗末なもので座席のゆとりも少なく、台車構造の欠陥もあって乗り心地は良くなかったそうだ。

加悦鉄道入場券

加悦SL広場入場券。
入鋏済み硬券に旧字体。雰囲気があってこれだけでも400円の価値があるのではないだろうか。
(400円は当時の貨幣価値に置き換えないのかというマジレスは置いておいて……)

加悦鉄道キハ101形

正面から失礼加悦鉄道キハ101形。
1936年、加悦鉄道創業10周年を記念して製造された。
ガソリンカーだが戦時中は木炭を燃料にしたこともある。戦前戦後を駆けた車両だったが1974年からは休車になった。
しかし2004年、NPO法人加悦鐡道保存会の手により動態化復元に成功。各所の劣化が激しくその保守に苦難しているものの、年に2回程度展示運転をしてファンを楽しませている。
2014年現在国内に唯一の片ボギー式気動車(しかも動態)であり、その歴史的価値は非常に高い。

加悦鉄道DB201「森ブタ」+加悦鉄道フハ2客車

加悦鉄道DB201「森ブタ」と加悦鉄道フハ2客車。
加悦鉄道DB201「森ブタ」は1953年、戦後の混乱期に森製作所で製造された加悦鉄道初のディーゼル機関車。最盛期には4連列車で牽引していたという。この小さい車体からは想像できない。
日本のディーゼル機関車の歴史において非常な貴重な存在らしく「現存、しかも動態で保存されていること自体が文化財級の価値」なのだそうだ。

後ろについているフハ2は1916年に名古屋電車製造所で作られた木造客車。
文化財級の車両たちに出会いすぎて感動が薄れ始めているが、この客車は後2年もすれば製造100年を迎える。恐ろしい。

国鉄キハ08系

国鉄キハ08系気動車。
希少車揃いのSL広場でとびっきり珍車の匂いがプンプンする車両。
昭和30年代になり非電化区間の動力近代化として上記のキハ10系が国内での勢力を拡大していったが、需要が供給を上回り気動車の新製が追いつかなくなっていった。
やむを得ず客車を増結することで対応していたが、合理化逆行、勾配区間での登坂の困難さ、車掌業務など色々な点で問題があった。
そこで考え出されたのが客車にディーゼルエンジンを搭載させ気動車化する方法である。今で言うところの「魔改造」である。
白羽の矢が立ったのは八高線列車脱線事故を契機に1955年に鋼体化改造(当時はインフレで大量新製が難しかったため)された国鉄60系客車だ。
1962年に気動車化され、当時気動車が慢性的に不足していた北海道で運用された。

これで要望に応えられた……と思われたが結果は失敗。
軽くない客車にエンジンを搭載したことによって重さが増し走行性能はよろしくなく、しかも非力だったので他の一般型気動車、峠では機関車を連結しなければ越えられなかったという。
その後1974年に加悦鉄道に譲渡された。平坦な土地が続くこの地では加悦鉄道が廃止になる1985年まで元気に走り続けたそうな。

国鉄キ100形貨車キ165

後ろから失礼、国鉄キ100形貨車 キ165。
1928年~1956年にかけて製造された国鉄初の単線用鋼製ラッセル除雪車。
キ165は1938年に製造され、山陰線で運用された。これが餘部鉄橋を渡っていたのか……。
動力はなく、機関車を増結させて使用する。機関車から送られてくる圧縮空気を屋根に搭載されているタンクに溜め、その空気を使って側面の翼を広げ、前頭部でかき分けた雪を更に脇へどける仕組みだ。
黄帯は走行速度65km/h以下を示しているんだそうな。

ラッセル車キ165

キ165内部。
暖をとるための小さなだるまストーブとシートが用意されているが、ラッセル車を使うほどの極寒地でストーブが役割を果たしていたのかは疑問だ。

加悦鉄道ハ21

加悦鉄道ハ21。
1893年鉄道省新橋工場にて製造。
1928年に国鉄から加悦鉄道に移籍し、1935年に車体部分を新造(改造)してできた客車。

加悦鉄道ハ21

ハ21車内。
いかにも戦前国鉄らしいシート配列。

加悦鉄道ハ21

網棚からの撮影だが、これでいかに背もたれが低いかおわかりになって頂けただろうか。

カトーくんとト404

小型内燃機関車 KD-4「カトーくん」と無蓋貨車 ト404
1956年に製造された小型ディーゼル機関車で森ブタと並ぶ人気がある。
ト404は1923年に製造され、遠州鉄道が保線資材運搬用として1999年まで使用していた。

有蓋貨車ワブ3+DC351

有蓋貨車ワブ3とDC351
ワブ3は1926年に大阪で製造された木造屋根付き貨車。室内に手ブレーキがある。
DC351は1956年汽車製造株式会社で製造されたDC機。元々は岩手の南部鉄道のものだったが、南部鉄道が廃止になる直前の1967年に加悦鉄道へやってきた。

有蓋貨車ワブ3

ワブ3車内。貨車なので簡素な作りである。相変わらずだるまストーブが心もとない。

そろい踏み

今まで見てきたものの一部を整理しよう。
左からハ21、ワブ3、DC351……
……右のやつは?

加悦鉄道キハユニ51

加悦鉄道キハユニ51。
芸備鉄道(現在のJR芸備線)が1936年に日本車輛で製造した気動車。40900形キハユニ18。
翌年買収により国鉄に籍を置きキハユニ40920形キハユニ40921となる。
国鉄籍でも暫くは使用されたそうだが、戦争によるガソリン難により使用不可に。
1952年、山口県宇部市に拠点を置く船木鉄道払い下げられ、ディーゼルエンジンを搭載。キハニ50形キハニ51となる。
しかし1960年船木鉄道が廃止になりキハニ51は加悦鉄道へと譲渡。キハ51となり活躍。
加悦鉄道廃止後もキハ51はSL広場に残り、1993年に大規模修繕を行いキハユニ51となる。

……まさか約60年経ってキハユニに戻るとはこの車両も思ってなかったでしょうね。

加悦鉄道キハユニ51

キハユニ51車内。
オールロングシートで今までボックスシートばかり見てきたこともあってかなり広く感じる。
吊革もあり、芸備鉄道が輸送力に力を入れようとしていたのがわかる。次の年に買収されてしまったのが残念だ。

加悦鉄道キハユニ51

郵便区分室。
今となっては使われることのないこの部屋も昔は重要な役割を果たしていたのだろう。

国鉄C58形蒸気機関車

国鉄C58形蒸気機関車。愛称は「プレーリー」。
1938年から1947年にかけて431両製造された蒸気機関車。
日本唯一の本格的テンダー式1C1形の車軸配置を採用。
このC58 390は1946年に製造され、1975年まで北海道(新旭川~網走、北見~池田)で走り続けた。

国鉄C57形蒸気機関車「貴婦人」

国鉄C57形蒸気機関車。愛称は「貴婦人」。
1937年から1953年にかけて215両製造された蒸気機関車。
細いボイラを搭載しているためスタイルのいい女性に例えて「貴婦人」と呼ばれるようになった。
四国を除く日本各地で運用され優等列車の牽引にも充当された。
このC57 189は1946年に製造され新潟機関区、1949年に直江津機関区、1966年に新津機関区、1971年に豊岡機関区と転属を繰り返し、1973年に廃車。同年に展示用に加悦町が借用した。

ちなみにC57 1が「SLやまぐち」として山口線を走行、C57 180が「SLばんえつ物語」として磐越西線を走行している。

加悦鉄道1261号

国鉄1260形蒸気機関車 1261。
元は簸上鉄道(今の木次線 宍道~木次)が1923年に日本車輛で製造した小型機関車だったが、1934年に国有化されたことにより国鉄の前身鉄道省に籍を置くことになった。
国有化された後は専ら鉱山専用車両として使われたそうだ。

加悦鉄道ハブ3

後ろについているのは1889年にドイツで製造された製木造緩急車 ハブ3。
九州鉄道が購入して使用していたが1922年に伊賀鉄道に払い下げ、その後1929年に譲り受けた。

加悦鉄道ハブ3

ハブ3車内。ロングシートで吊革はない。隣は荷物室になっていて隅にブレーキハンドルが設置されている。

国鉄120形蒸気機関車

国鉄120形蒸気機関車 重要文化財「123号機関車」。
1874年、関西初の鉄道開通(大阪~神戸)に際してイギリスから輸入された蒸気機関車。製造は1873年。
日本の鉄道黎明期を支えた偉大な蒸気機関車で今はもうここと台湾に2両しかないとても希少な存在である。
1915年に簸上鉄道(今の木次線 宍道~木次)に払い下げられ、1925年に加悦鉄道創業に伴い購入した。その後1956年まで稼働した。

古い車両ばかりの加悦SL広場でも最古の車両であり、日本に保存されている車両の中でも最古の中の一つだ。
この機関車だけ屋根つきの静態保存なところも、大事にしていることの表れだろう。

国鉄C57形蒸気機関車+国鉄C58形蒸気機関車

道の駅とSL広場を結ぶ高架橋から見たC57とC58。流石の風格である。

1261+2号

こちらは駅舎方面を。
本当にすごい場所だった。鉄道史がわからない人向けに例えると、400円で長嶋茂雄氏や桂歌丸氏を椅子に座らせてデッサンしたり写真をあらゆる方向から撮影しているようなものだ。
このような場所が全国的に知られていないことは本当に寂しい。

道の駅きっぷ

ついでに道の駅で硬券購入。
こちらはもう定番となってしまった。
購入後はバス停へ戻り、野田川駅を目指す。
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