【第249話】島根県 江津駅~田儀駅 - 最新ネタ

【第249話】島根県 江津駅~田儀駅

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【第249話】独身ガリ野郎は旅する狂詩曲の夢を見ない
山陰鉄道旅2日目。美しい日本海の景色を眺めながら丸1日乗り鉄旅をしていく。


江津駅

山陰旅2日目、始まりは日の出前の江津駅。
睡眠時間は4時間ぐらいか、意識は醒めても体は休眠状態だが、場所が場所なだけに「一本遅らせてもええか」という訳にもいかない。

江津駅

0617江津発益田行始発列車。
これに乗ると0734に益田に到着、0739新山口行、0750長門市行へスムーズに乗り換えることができる。其々の乗り換えが逃すと次発1126山口行(特急スーパーおきが0840にあるが鈍行縛りでは利用できない)、0931東萩行までないので非常に重要である。

江津駅

昨日の終列車は今日の始発列車、0600江津発三次行。
出雲からの客は大田市でバスに乗り換えろということなのか、出雲市発だとこの列車に間に合わない。
しかも始発がこんな早い時間にも関わらず次発は1234浜原行である。なんだっそら、耐えられない。
これではいくら経営努力と言っても「利用者の意にそぐわない」として見限られてしまうのも道理なのかもしれない。

尚、この日は浜田始発から乗り換えてきたのか同じ江津SHの客か、数人鉄オタが乗り込む程度の混雑であった。
この後落石で2時間足止めを食らうことになるとはこの時は知る由もない。

因みに0553出雲市始発で旅を始めると0633に大田市に到着、そこから0653の川本線のバスに乗り換えると0802に石見川本に到着する。
とは言えこの始発は0708に石見川本を出発しているので間に合うわけもなく、結局三次方面に上るなら色々と代替案を決める羽目になる(下り江津方面は三次始発の浜田行が0825発なので乗ることができるが、川本~江津のどこかで降りるにしても結局1234浜原を待つ羽目になる)。

キハ47

一方私は先ず浜田始発出雲市行のキハ47に乗って出雲方面へ向かうことにした。
旅が始まる前までスタートを益田方面にするか出雲市方面にするか最後まで迷っていたが、最終的に出雲市駅に着いた時間に駅でサンライズの出発を見送れるタイムテーブルという理由で出雲方面スタートに決めた。

湊隧道

流石に時間も早く海側のボックスに着席することができたので暫し山陰の美しい海岸線を眺めつつ朝飯に昨日買ったオレオを食べる。
途中五十猛駅を過ぎたぐらいで一風変わったトンネルがあったので調べてみるとあれは1966年竣工の湊隧道というらしい。
どうしてこの岩を貫通させることになったのか?どうしてもここでないといけなかったのか?色々と妄想する。

車窓を見るのは面白い。大垣から米原へ行く時も雑木林の中から突然現れる社や祠、農器具庫のようなボロ小屋、不自然な畦道・私的な農道を見ては色々と妄想している。

田儀駅

斯くて江津から乗ること約1時間、本日最初のポイントである田儀駅に到着した。
この駅は列車交換駅であり、時間によっては写真のようにキハ47が並んだ写真を撮ることができる。
キハ120やキハ126の隆盛により出雲市~浜田でキハ47が見られる回数も減少しつつあるが、山陰ほど国鉄気動車が似合う場所もないので末長く運用してもらいたいものである。

乗ってきたのは右側のキハ47-1053。
キハ47-141、キハ47-1054と共に最後の姫新色として頑張っており、2015年夏にはこのキハ47-1053をモデルにした姫新色Nゲージも登場していたが、【第205話】黒い瞳に映るソバで撮影した最後の鳥取色 キハ47-146共々2016年2月頃に単色化され地域色が全滅したようである。
Nゲージが出始めたら単色化が迫っていると考えたほうが良いのかもしれない。

田儀駅

お隣はキハ47-2006。こいつには大した特徴はないだろうと思っていたらこいつ後藤車両所最後のキハ47非リニューアル車両だったらしい。

何だか牧場で優勝馬を見て懐かしさから饒舌になるおっさんの気持ちがわかるいつもの展開になってきた(爆)ので、話を戻していこう。

今回この田儀駅で降りた理由は2つあり、1つが

田儀駅

この土砂崩れ修復現場である。
2016年1月30日に起きた土砂崩れは山側の2番線を飲み込み、行き違いができなくなったためダイヤの大幅な変更を余儀なくされた。
海側ホームを使用しながら速度を落として運転したり、行き違いをする駅を変更、代行バスを走らせる等、様々な工夫をして乗りきっていたがどうしても現行ダイヤとの遅れは解消することができない状態でいた。
その後復旧は急ピッチで進み、7月30日には山側ホームの使用を再開し本来のダイヤに戻ることができたのである。

田儀駅

とは言え、上のほうを見るとまだ土砂崩れの生々しい爪痕が残っている。
工期は平成29年3月17日までとなっていたが果たして間に合うのだろうか。

もうひとつの理由は何と言っても

田儀駅

ホームから見られる日本海の景色である。
海の見える駅で田儀駅が紹介されていたというのもあるが、決定打は

田儀駅
▲角度・距離に誤差ありながらも大体このあたりである。

好きなイラストレーターの一人TAKAさんがこの駅をモデルにしたイラストを描かれていたので折角近くまで来たのだから聖地巡礼がしたかったのである。

一つ目的が達成された時の満足感たるや至上の幸福だ。

田儀駅

待合室全景。海岸に沿って続く道路と海の平行線がとても気持ち好い。
絶えず聞こえてくる波音と車の通行音だけがこの場所のBGMである。
生まれてこの方、海が目の前にある場所に住んだことがなければ最寄駅がシーサイドだった経験もないので、こういったシーサイド駅に降り立つのは憧れでもある。

田儀駅

無人駅に似つかわしくない田儀駅のログハウス風駅舎は手引ヶ丘公園案内所も兼ねている。
手引ヶ丘公園はアスレッチックや滑り台がある子供に人気の公園で春には海が間近の桜も撮れる名所だが、鉄オタにも人気で俯瞰の撮影スポットになっている。

このほかにも田儀駅の前後、小田~田儀~波根は至る所で撮影スポットになっており、鉄オタを飽きさせない。

田儀駅

駅舎内は無人駅とは思えないほど綺麗に清掃されていた。
これでもかというぐらい木で統一された駅舎内に公衆電話、トイレ、自販機も備わっているので何か問題があったとしてもここなら不自由しなさそうである。

尚、駅ノートの類は見つからなかった。


今回の田儀駅滞在時間は39分。手引ヶ丘公園で俯瞰写真をじっくり撮りたかったが其れをやっていると列車に間に合わない上、この時点で結構時間を消費していたので今回は駅から徒歩5分の場所にある手引ヶ浦台場公園に行くことにした。

手引ヶ浦台場公園は日本海の眺望を望める史跡公園である。

手引ヶ浦台場公園
▲八十斤加農砲(洋式大砲)模型

手引ヶ浦台場公園
▲口田儀台場跡、三貫目玉大筒(和式大砲)

幕末の頃、松江藩は外国船備えて海辺の用地に「唐船番」という兵団を置いて監視を行ないました。
寛政12(1800)年に出雲の国と石見の国との国境に位置する田儀浦(現在の田儀港)にものこの唐船番が設けられ、文政3(1820)年には「船乗組」という船団も編成されました。
当地では、天然の良港である田儀湾の東の手引ヶ浦の高台と、湾の西にある田儀川河口の2ヶ所に台場(砲台)を築き、それぞれ大砲を3門ずつ配備しました。
復元された大砲は、鳥取県琴浦町の台場を参考に、大砲については下関市立長府博物館所蔵の八十斤加農砲(洋式大砲)の模型と、新潟市郷土資料館所蔵の三貫目玉大筒(和式大砲)の模型をもとに複製して設置したものです。
(和式大砲は実物と同じサイズですが、洋式大砲は3/4に縮小して複製しています)
手引ヶ浦台場公園


手引ヶ浦台場公園

三貫目玉大筒の視線の先には日本海の水平線。
果てしなく遠いと思われがちな水平線は観測者から水平線までの距離は約5kmと意外と近い。1時間と少し歩けば辿り着ける距離である。
しかし歩けど歩けどそこには5km先に見える水平線。

♪ Serchin' For New World 人は皆 あふれる夢を掴む為~♪
水平線を飛び越えた その先何があろうとも~♪


水平線を追い続けた先にあるのは地上の楽園か赤い国か。

手引ヶ浦台場公園

海岸へ通じる遊歩道。下りようとも思ったが、時間の都合があったのと傍に置いてあったカラーコーンと張ってあるロープを見てやめておいたほうがいいと判断した。

手引ヶ浦台場公園

美しい浜は出雲神話の舞台

大国主大神の娘である阿陀加夜努志多伎吉比賣命(あだかやぬしたききひめのみこと)は、父神の言いつけにより多吉里(たきり)に来られ、ここでお住まいになられました。
命は賢くやさしい方で、里人の災いを払いのけて幸せをはかり、田畑の実りのよいように守られたため、里人から崇敬されていました。
ある日、命が父神のおめしにより杵築の宮(出雲大社)へ行くために、この浜辺を通りかけられると、海人が命の御出発を惜しんで、にわかに津波を起こして引き止めようとしました。
やがて大波が激しく押し寄せて浜辺をふさいだため、命は沖の海神に向かって「私は今、父神のお召しを受けて杵築の宮へ参ろうとここまで来た。早く波を静め、潮を引かせて道を開かせ給え」と言われると、それまで荒れ狂っていた大波もぴたりとやんで、元の美しい白浜にもどりました。
これをご覧になった命は、お供の者たちの手を引いて真一文字に稲佐の浜へと急がれました。そのいわれにより、この浜辺一帯を「手引ヶ浦」と呼ぶようになりました。
手引ヶ浦台場公園


田儀駅

思えばこの田儀という地名の由来も旧町名の「多伎」から取られたものであり、多伎も阿陀加夜努志多伎吉比賣命から取られたものであると推察できる。
普通に見ていれば海が近いだけの駅という印象も、多方面から違う視点で見てみると色々と面白い逸話がある。旅の序でにその地の歴史の勉強をするというのはとても大切なことだ。

田儀駅

0804、定刻通りにキハ120大田市行が入線してきた。
通勤時間帯にも関わらず1両でもしかして満員列車なのではないかと思ったが、列車内は座る余裕すらあった。この時間帯の人の流れは出雲市方面なのだろう。


次回へ続く!

No.249独身ガリ野郎は旅する狂詩曲の夢を見ない
場 所島根県 江津駅~田儀駅
日 時2016/10/19曇/晴
備 考出雲観光ガイド
引 用青春ブタ野郎は恋する幻想曲の夢を見ない
青春ブタ野郎は恋する幻想曲の夢を見ない

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