【第52話】愛知県 南知多町~武豊町 - 愛知

【第52話】愛知県 南知多町~武豊町

52v.jpg

【第52話】未来タイムマシン
好い天気だから何処かに行こう。まだ歩いていないところを歩こう。
それが路地裏見聞録。それが私が生きる道。


「好い天気だ、どっか行こう」
ほんで家出た10時ちょっと前。
通勤ラッシュも終わりに近づき8両が暇を持て余すギリギリのタイミングで電車に乗ると車内も快適で移動がしやすい。
神宮前で乗り換え。この時間の知多半島への人の流れは少ないだろうと思いきやおるわおるわ日本福祉大の大学生。
オーマイガー、だが仕方ない、はっきり言って知多新線は最早日本福祉大と海水浴客のものだ。

今はあちこち出かけるようにはなったので然程新鮮味はないが、その昔内海フォレストパークがあった時代の「知多新線」というのはまさに別の世界であった。
ブルーライナーが豊橋まで乗り入れることもあったあの時代「この音(ミュージックホーン)はなんだ、この絵(ブルーライナーラッピング)はなんだ」と見る度興味増すばかりであった。
始めてブルーライナーの展望車に乗った時は本当に嬉しかった。普通のパノラマスーパーと同じなのにブルーライナーというだけでいつもとは違う高揚感のようなものを感じずにはいられなかった。
まさかあれが南知多観光事業の最後の輝きだったとは……。

名鉄

大半の客を知多奥田で降ろしガラガラになった5700は終点内海へ。
名鉄の座席指定制特急発祥の河和線・内海線で2011年3月のダイヤ改正で誕生した全車一般車5700・5300。
今や最後の2扉クロスシート車となった5700・5300は「特急」の看板を引っ提げ昼の知多半島を走る。

ただ、この全車一般車……たまに「棺桶」こと5000系で来ることがある。もし当たってしまったらハズレもハズレ、一日を陰鬱とした気持ちで過ごすことになるので注意が必要である。

名鉄

隣には名鉄3500系3529F。
2012年3月17日から9月2日まで「ケルディオ号」としてラッピングされていた。

名鉄

元々内海駅は現在の位置よりも海寄り(凡そ内海小学校辺り)に設置される予定だった。
ただ、地元は鉄道による内陸部の開発を期待し反発した。最終的には名鉄側が折れて現在の位置に設置されることになったのだが、道路整備やモータリゼーションによってマイカー利用が増え国道24号線沿いが発展、鉄道利用者は海水浴場まで徒歩15分、またはバスに乗る必要が生まれてしまった。

名鉄

オフシーズンは至って静かな終着駅。
少し前まで自動改札なんてものはなく行灯式列車案内板が主役だった昭和な駅。
少し歩けば磯の香りがしてくるこの駅は私は結構好きである。

南知多町

内海駅からは川に沿って海を目指す。
川とはいえ潮の満ち引きで海水が遡上してくるのでこの辺りは磯臭さが漂っている。

千鳥ヶ浜海水浴場

川の最果ては海に繋がる。視界に広がる伊勢湾を見ようと思ったら堤防の先端に柄の悪そうなカップル(人を見た目で判断するな)がいたので危険は回避しておくことにする。

千鳥ヶ浜海水浴場

言わずと知れた愛知県を代表する海水浴場「千鳥ヶ浜」である。
歴史は古く、明治初期の病気治療のため海水につかる「潮湯治」に始まっている。
遠浅できめの細やかな砂浜は「世界で最も砂の粒が小さい」と言われる程のようで、弓状に約2km続く砂浜は東海随一らしく平成8年に海の日を記念し「日本の渚百選」に選ばれ、年間40万人の海水浴客がこの千鳥ヶ浜を訪れる。

はっきり言ってどんな冠を付けられても若狭湾の透明度を見てしまった後(【第2話】ダイヤモンドサンシャイン)では混雑しており透明度の低い海水浴場はタダでも行く気がしない。

ただ、見聞録が始まる遥か昔の2003~2004年頃、私はこの川を挟んで向こう側にある東浜で海水浴をしたことがある。
その時やったことと言えば、友人を寝かせて首から下を砂風呂と称して埋め、胸と股間に山を作って放置する遊びをしていた(爆)。

前回も言ったが、こいつは全く成長していない。呆れるほどに成長していない(苦)。

千鳥ヶ浜海水浴場

右からホテル松涛豆千待月若松知多、内海観光センター(半田警察署千鳥ヶ浜臨海詰所)である。
このうちホテル松涛は11~16時800円(夏期は16~19時1500円なので注意)で日帰り入浴ができる。

千鳥ヶ浜海水浴場

流石にこの時期は閑散としており、内海観光センターに至っては廃墟にしか見えない(爆)。

千鳥ヶ浜海水浴場

砂浜を歩き始めて約15分、漸く西浜と呼ばれている端まで来た。なんて浜だ(爆)。

千鳥ヶ浜海水浴場

えらく長い時間歩いた気がするがまだ千鳥ヶ浜エリアからは出ていない。なんて浜だ(爆)。

千鳥ヶ浜海水浴場

西浜にはコンクリート製の船「吹越丸」が打ち上げられている。
これはただのモニュメントというわけではなくれっきとした海水浴場の監視塔である。

千鳥ヶ浜海水浴場

1階はトイレ、2階は展望台にもなっているがトイレの清潔さはお察し願いたい。

秋葉神社

千鳥ヶ浜を離れさぁ愈々と思ったところで秋葉神社があったので参拝しておく。

秋葉神社

色々な場所でカメラを構えてみようとするも至る所で蜂らしき昆虫がブンブンと羽音出すので全く落ち着けない(苦)

秋葉神社

蜂の応酬に耐えながら階段を上って行く。

秋葉神社
秋葉神社

数分上ると社に到着。秋葉神社なので特にこれと言った情報もないのだが……

秋葉神社

これは素晴らしかった。

南知多町

愈々国道247号を北上。
途中海岸に沿って菜の花が咲いていたので写真を撮るが隣を車がビュンビュン走行しているのでこれまた落ち着かない(苦)。

仕方がないので海岸へ再び降り砂浜に沿って歩いていく。するととんでもないものを見つけてしまった。

源義朝上陸地

ほ ん ま か い な ……

源義朝は源頼朝の父であり、平治の乱で都から敗走している途中、尾張国で家人の長田忠致に恩賞目当てで裏切られ入浴中に謀殺された男である。

案内板曰く、

1159年(平治元年)京都六波羅の合戦、世に云う平治の乱に、源義朝は平清盛に敗れ東国に落ち延びるため、重臣の鎌田兵衛正清の妻の父親長田忠致が庄司を勤める野間内海庄へ向かって左馬頭殿(義朝)・平賀四郎・鎌田兵衛正清・金王丸に鷲栖玄光の一行5名は柴を運ぶ小さな小船で岐阜大垣の杭瀬川から揖斐川を下り、伊吹降ろしの西風が吹く伊勢湾を渡り、1159年(平治元年)12月28日野間の南、内海字西座頭畑辺りの海岸に上陸後、野間の長田忠致の館を目指してここから山越えをした。


とのことである。

源義朝上陸地

思わぬ発見にテンションが上がったのか落ちていた木片を運んできて写真を撮る。
対して変わりないのだが(爆)、当時はこれでかなり満足していたような気がする。

美浜町

暫くテンションが上がっていたものの、一頻り写真を撮り終えると途端に「一人で何やってんねん……」と寂しい気持ちになってきたので北上再開。
海風を浴びながら只管水平線を眺めるのも悪くない。私の場合、何故かこれが飽きないのだ。

そして小野浦海水浴場を越え、カーブを曲がるととある有名スポットに辿り着いた。

野間灯台

野間埼灯台(野間灯台)である。
1921年(大正10年)に設置された愛知県最古の灯台である。

この灯台には誰が仕掛けたのか柵に恋人同士で南京錠を掛けると恋愛が成就するというけったいなジンクスがあると噂で広まり訪れる人が増えたそうだが、柵に南京錠が付けられすぎたため重みで柵が倒れるという実に面白い悲しい事件が起きたことがある。(爆)。

それにしてもカップルはどうしてそんなに南京錠が好きなのだろうか。
ラバーズヒル(【第37話】愛より赤い海)でも書いたが、私はそんなガチガチな人生だけは勘弁したいものである。

野間灯台

また、この灯台はライダー達の中でも有名で、知多半島ツーリングのチェックポイントとして訪れる人も多い。
実際、この写真を撮っていた時もツーリング客が何組か来ていた。

極少数ではあるが、二次元方面にも進出している。
何枚売れたかなんて怖くて聞けない(爆)。

名鉄

遂に歩いて野間駅まで来てしまった。
長いようで短い、そんな一日であった。

名鉄

このまま終わってもよかったのだが、まだ陽も高く余裕がある時間だったのでおまけをやることにした。
知多武豊駅で下車し歩くこと15分……

武豊駅

武豊線終着駅、武豊駅に到着である。

武豊駅

まだ電化する前の武豊線、近すぎてこうでもしないと来ないので好い機会だった。

武豊駅

入線してきたのは313……ではなくキハ25-0。
313からパンタグラフを取っただけのなんちゃって気動車である。
おかげで折角の電化前写真だというのに新鮮味が全くなかった(爆)。



No.052未来タイムマシン
場 所愛知県 南知多町~武豊町
日 時2012/04/24
備 考知多娘。
引 用あの日タイムマシン
あの日タイムマシン
関連記事
スポンサーサイト

0 Comments

Leave a comment