【第229話】兵庫県伊丹市 阪急伊丹駅~神戸市 谷上駅 - 最新ネタ

【第229話】兵庫県伊丹市 阪急伊丹駅~神戸市 谷上駅

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【第229話】この旅、天候により。
前回の続き。
スタンプラリーの序でに因縁の相手とケリをつける。
ケリをつけると言っても0対100でこちらが頭を下げに行くほうなのだが。


阪急伊丹駅

伊丹空港から伊丹の市バスに乗り阪急伊丹駅にやってきた。
ここから阪急塚口を経由し阪急西宮北口へと向かうのである。

阪急伊丹周辺はあの忌まわしき阪神大震災によって顔を手で覆いたくなるほど壊滅状態となったが、今では爪痕すら見られないほどに復興した。本当に爪痕すら残っていない。

阪急伊丹駅

伊丹は我が地元宝塚の隣街であるが、私は何かあれば梅田や西宮北口、三宮まで出てしまうのであまりなじみがない。
だが見所は多く、「清酒発祥の地」と呼ばれ酒造りは非常に歴史が古い。
また、日本列島を模した人工島が池の真ん中にあることで有名な昆陽池がある。

尚、宝塚からは乗り換えが必要だが、中山寺からなら阪急伊丹までバス1本で行くことができ、宝塚からは伊丹空港直通バスが走っている。

阪急伊丹駅

入線してきた折り返しの阪急3100系に乗り阪急塚口へ、阪急塚口から阪急西宮北口へと向かう。

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阪急が偉大であることは最早説明不要であろう。

阪急西宮北口

阪急西宮北口に到着。
10分程度時間があったので構内本屋にて阪急の聖書を購入してからバスターミナルへ。

普段見聞録ではガラガラの路線バスしか乗らないため、立ち客が出るほどの路線バスに何度も乗るのはとても珍しかった。

廣田神社

廣田神社前にて下車。

廣田神社は、神功皇后摂政元年(西暦201年)、国難打破の道を示し、皇子(第15代應神天皇)のご懐妊を告げ、安産を守り、軍船の先鋒となり導き、建国初の海外遠征に大勝利を授けられた天照大御神の御神誨を受けた神功皇后(第14代仲哀天皇のお后)により、御凱旋の帰途、武庫の地・廣田の国(芦屋・西宮から尼崎西部)に大御神の『荒魂』を国土の鎮め外難の護りとして鎮め祭ったと、『日本書紀』に記されている兵庫県第一の古社です。
廣田神社


神功皇后の三韓征伐に出発する際、天照大神の神託があり、和魂が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろうと言った。
皇后の留守の間に忍熊王が神功皇后とお腹の中にいる皇子を亡きものにしようと明石で待ち伏せていた。
戦いを終え、帰途それを知った神功皇后は、紀淡海峡に迂回して難波の港を目指した。
しかし、難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまった。
そこで兵庫の港に向かい、神意をうかがうと、天照大神の託宣があった。
「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」。
そこで皇后は、山背根子の娘の葉山媛に天照大神の荒魂を祀られた。これが廣田神社の創建である。
このとき、生田神社・長田神社・住吉大社に祀られることになる神からも託宣があり、それぞれの神社の鎮座が行われた。
すると、船は軽やかに動き出し、忍熊王を退治することができた。

天照大神と言えば日本国民の総氏神であり太陽を神格化した神である。
天照大神を祀る神社(神明神社)は全国各地にあるが、その総本社は神宮(伊勢神宮)の内宮である。

ここ一年見聞録に於いてロクに晴れたためしがないので天照大御神を祀る廣田神社を参り、気分を良くしてもらい今後の天候もできるだけ晴れになるよう願いに来たのである。序でに見聞録グループという船がこれからも平安であるよう願いたい。

尚、西宮という地名は廣田神社を中心とする神社群が京から西国方向を目指す街道上にある神社ということで「西宮」となった。
西宮の歴史はここから始まっているのである。

廣田神社
廣田神社

入口から注連柱まで、各所で桜が咲いている。
満開ではないが十分である。

廣田神社

コバノミツバツツジ。
廣田神社はツツジの名所で、毎年4月第2土曜日にはつつじまつりが開催される。

 廣田神社のコバノミツバツツジ群落は、西宮市の象徴甲山の南々東の山麗廣田山にあり廣田神社の外苑内約2万平方メートルに亘り十数カ所に分かれて大きな群落を形成し、総株数は約2万株にのぼると推定され、昭和44年兵庫県指定天然記念物に指定された。
 廣田神社の神苑は、後ろは甲山に接して六甲山を背負い、前は西宮市街を瞰下して武庫の静海を望み、摂津・河内・和泉の山野を一望の内に収めて、四方の眺めに富み、殊にツツジの満開となる四月初旬から中旬には満山ツツジを以ておおわれ、その情景は千紫万紅天に映ずるの美観にて筆舌に尽くしがたく、千古の神蹟に相応しい。
 我が国植物学の父である一大権威者の牧野富太郎博士も、その盛況な様子を遊覧されて「ただ三葉千萬人をおびき寄せ」と一句を詠まれて絶賛されたのである。コバノミツバツツジは、関西地方の低山を中心に分布し、特にアカマツ低木林内に多くみられ、本州(静岡県西部・長野県・福井県以西)・四国・九州の山地に自生する落葉低木のツツジ科の植物で、葉が小枝の先に三枚輪生する特徴があり、他のツツジ科の植物よりも早く葉が出る以前の3月末から4月中旬に一斉に開花し、紫花燃え出ずる紫雲の眺めは格別なものである。  花色は淡紫・濃紫・白色が有るが、廣田神社の躑躅は概ね淡紫色で、中には花弁に斑紋を表すものもある。
 廣田神社のコバノミツバツツジは古く元禄年間人文に詠まれ、元禄・寶永・正徳の頃(1688〜1715)に既に栽培され「廣田山の躑躅(ツツジ)」として殊に有名であったことから少なくとも300年以上に亘り人々に慈しまれて来たことが推察され、民間行事の春の山行きでも、廣田山で手折った躑躅を田の水口に挿し立てることが記録に残っている。
 ツツジ科の植物は株を叢生して拡大し、株の中央の幹は枯死するので、樹齢の推定は困難であるが、廣田神社のコバノミツバツツジは大株で樹齢約150年以上と推定され、其の高さも3、4メートルに達する。
 「国際花と緑の博覧会」の公式ガイドブックにも阪神間で唯一花の名所として紹介され、阪神間を始め各地より多くの観覧者が陽春の候には訪れているが、大東亜戦争以前には周辺地区を含め約20万株を誇ったツツジも、周辺地区の開発・宅地造成などに伴い廣田神社の神苑に残った約2万株のみとなったため、神社では市民の協力を得て植栽に力を入れており、去る平成5年にも皇太子徳仁親王殿下ご成婚を祝し、氏子崇敬者より植樹の奉賛を募り、約500株の若木を植樹した。
廣田神社 | コバノミツバツツジ群落


廣田神社

天照大神は前々回(第227話)で行った大神神社と深い関わりがある。

崇神天皇5年から疫病が流行り民が死亡し、同6年には百姓の流離や背叛など国内情勢が不安になった際崇神天皇は畏怖し、その原因が天照大神・倭大国魂神の2神を居所に祀ったことにあると考えた。
そこで天照大神は豊鍬入姫命につけて倭笠縫邑(檜原神社)に祀らせ、倭大国魂神は渟名城入姫命につけて祀らせた(元伊勢の始まりの地)。
しかし、渟名城入姫命の髪は抜け落ちて体も痩せてしまったため、倭大国魂神を祀ることが出来なかったという。
同7年2月、巫女的な性格を持つ皇女倭迹迹日百襲媛命に憑依して「大物主神を祀れば平らぐ」と神懸りし、その後、天皇に大物主神が夢懸りして大物主神が現れこう告げた。

こは我が心ぞ。意富多多泥古(太田田根子)をもちて、我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ

と。
天皇は早速、大物主神の子であり三輪氏の祖とされる意富多多泥古を捜し出し、三輪山で祭祀を行わせた。すると天変地異も疫病も収まったのだ。これが現在の大神神社である。

一方の天照大神。
次の垂仁天皇の代になって垂仁天皇の娘である倭姫(やまとひめ)が天照大神を祀るのにふさわしい場所を探して各地を尋ね歩くことになり、宇陀の篠幡、近江国、東美濃を廻った後で伊勢に入った。
その時「ここは辺鄙な土地だけど波が打ち寄せる美しい国である。私はここに留まりたい」という神託があった。
そこで倭姫はそこに宮を建てて天照大神を祀った。これが今の伊勢神宮である。

廣田神社

飾られていた絵馬には今年の干支である猿。
縦縞ユニホームを着た猿が必勝と書かれたトラ柄の風船を持っているあたり、流石阪神タイガース結成以来続けている必勝祈願の地である。

廣田神社
▲決して盗撮ではない

さて、いつもの5円3枚賽銭も終え、意を決して天照大神の元で御神籤を引く(爆)。
友人からまた引くの?と呆れられるが、決意は固い。
ここで凶を出したら元も子もないのだが(爆)。

200円を納めまたいつものように筒を揺らし傾け棒を取り出す。結果は……

御神籤

第壹番 大吉
蓋し素晴らしいと言わざるを得ない。
何より1番というのがいい。
生まれて初めて大吉を引いた気がする。アマテラスのおばさんが言ってんだ、間違いないだろう。

御神籤

うるわしき神のみさとしあるからは よろづのねがひかなふとぞしれ
(神の教えを守れば願い事は全部叶うで 知らんけど)


○よろこび有るべし
○待人来る
○訴訟利あり
○失物出べし
○生死いきるべし
○賣買大利
○病事こゝろよし
○方角東南
○家造りわたまし
婚禮 旅行 これみな用いて大吉なり 


……何だか「こう書いとけば満足するやろ?」感アリアリの結果であるが大吉とはきっとこういうものなのだろう。なんせ初めて当たったのでよくわからない。

だが面白かったことがある。それが方角。
前々回(第227話)の大神神社の結果同様南東の方角を指しているのである。
これは間違いなく家から南東の方角、つまり蒲郡線に乗れば何かあるということである。

神命を信じ、次回は蒲郡線を旅することにする。

方針が決まったところで時間も限られているので次の場所を目指す。
大社町の急坂を息を上がらせながら歩き振り返って大阪方面を眺めてみれば、坂の向こうに林立するビルが霞んで見える。
「ああ、宝塚もこんな感じの場所がある」とどこか懐かしい気持ちに浸りつつ今度は坂を下り苦楽園口へ。

廣田神社の桜が咲いていたんだ、こちらも少しは咲いているだろうと名所・夙川の桜に淡い期待を寄せつつ川に近付いてみると……

夙川

なんだっそら

夙川

なんだっそら、耐えられない(悲)。
全くと言っていいほど桜を見ることはできなかった。
前の週から襲っていた寒気が開花を遅らせたのかもしれない。
阪急×桜が撮れるのではないかと期待していただけに少し残念であった。

阪急夙川駅

苦楽園口から夙川へ。乗り換えて阪急三宮へと向かう。

三宮では先ず帰りの近鉄特急券を確保しておいた。
というのも三ノ宮の近鉄特急券売り場は17時までだからである。
ここで券を先に買っておくことでギリギリまで神戸に滞在でき、そのまま難波で特急に乗り換えができる。
尚、今回は三宮高架下金券ショップにてまる得を買ったがその後阪神三宮を見てみると西口改札から見て左手に特急券売り場を兼ねたサービスセンター、右手にまる得を堂々と販売する金券ショップがあった(爆)ので、これからはそちらを利用したいと思う。

無事近鉄特急の予約を終えたので北神急行に乗り谷上駅へと向かう。

谷上駅

長いトンネルを抜け谷上に到着。
何本か写真を撮っているとミュージアムトレインという列車が入線してきた。

時間もそこそこ、階段を降り改札口へ向かってみると……

谷上駅

あった(爆)。

谷上駅

これにて二つ目のスタンプである。

谷上駅

序でに駅ノートも設置されたようなので……

谷上駅

いつもの貼って描くやつをやっておいた。
今回は総筆ペンなので線がガタガタであった。ペンを新調する必要がある(その後した)。

谷上駅

ここで自撮りを敢行する勇気はない(爆)。

谷上駅

北神急行の守り神、北神弓子。
タラタラと日本神話を書き連ねた後にこんなもんが出てくると神って何だと自問自答したくなる(爆)。

谷上駅

改札を出ると色々とグッズが置かれていた。
またその一角に……

谷上駅

ガチャガチャ見聞録を行っている以上見過ごすわけにはいかぬ運試し。
500円という値段故、折角大吉籤を引いてきたのにここでほくしんトン(緑の山)が当たるようなことがあれば「あのアマ適当なこと抜かしおってクソボケ!!」と発狂しかねないが……ああもうだめだ財布の中にうまいこと100円が5枚ある。

ガラッガラッ……

ガチャガチャ

出てきたのはハイキング弓子であった。セーフ。
しかしこいつ500円もする割に鉄道むすめのアクリルキーホルダーやラバーストラップと比べても小さくないか?(爆)
まあ御布施と言うことで今回は許してやろう。

谷上駅
谷上駅

折角なので外に出る。
「新神戸へ8分・三宮へ10分」とアクセスはいい。
だがこの北神急行、谷上⇔三宮で8.8km 540円もする。
阪急河原町⇔阪急三宮が75km 620円であることを考えるとあまりにも高い。

谷上駅

スタンプ押すだけに1080円も取られるのはイマイチ納得がいかないが仕方がない。そうそう来る場所でもないしそうそう乗る電車でもないので高い授業料として考える。

三ノ宮駅

三ノ宮に戻ってきた。
阪神三宮からそのまま乗り換えで帰るつもりであったが、最後になって微妙に時間が余ったので18きっぷで鶴橋までいくことで電車賃を浮かすことにした。
前述の通り北神で高額運賃を取られたので、阪神分の410円だけでも取り返していくことは大事。
阪神側からすればとんだとばっちりであるが(爆)。

鶴橋駅

鶴橋まで来るともう完全に夜。
大都市大阪の帰宅ラッシュが我々を襲う。

鶴橋駅

最後に103系。
323系が来たら淘汰されてしまうので近いうちに特集を組んで……と思っていたら今年に入って特集を組む必要もなく沢山撮る機会があったので熱が冷めてしまった(爆)。
抑々、環状線の103系が消えても播但線等ローカルでまだ生き続ける事を考えると焦る必要もなかったかもしれない。

No.229この旅、天候により。
場 所兵庫県伊丹市 阪急伊丹駅~神戸市 谷上駅
日 時2016/03/29晴/曇
備 考廣田神社(広田神社)公式サイト | 兵庫県西宮市
引 用この恋、青春により。
この恋、青春により。

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